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憲法の男女平等 ('08,11,6)

M.K.さん(新宿) の作品です。


On the 6th of October
I saw "The Sirotas and the 20th century" at Iwanami Hall.
Before the war there were foreign professors (Kreuzer and Sirota etc.)
at Musical college in Ueno.
Sirota came to Japan in 1929 as a professor of piano.
Beate was Sirota's daughter and came to Japan with her parents.

She was initiated into the piano by her mother,
but her mother thought
she had more talent for language studies than piano.
She mastered several languages.
She lived for ten years in Japan, then studied in America.
After graduating from college she got her job and worked,
because her parents couldn't send her money for the war.

In 1945
she knew her parents were living an inconvenient life in Karuizawa.
She'd like to meet them. She looked for a job in Japan.
She heard G.H.Q was looking for capable people
for the occupation plan in Japan.
She applied for this and she was adopted.
She quitted her job with TIME.
She came back to Japan and participated in a draft of constitution.
Since she lived in Japan,
she saw how discriminated Japanese women were.
She worked against sexual discrimination.
She wrote in the constitution
that men and women should be treated equally.
This constitution is Beate's present for the Japanese.

Sirota was in Japan for 17 years
and contributed in Japanese musical world
and after that they immigrated to the U.S.A.
Some of his family were sent to Auschwitz
and his brother was killed in the war.
This is a documentary film on Sirota's family.

Haruko Fujita who was Sirota's favorite pupil
passed away at the age of 83 in 2001.
She hoped to make use of her fortune for cultural business.
Making this film owed to her fortune.



<日本語訳 by M.K>

 10月6日、私は「シロタ家の20世紀」という映画を岩波ホールで見ました。戦前上野の音楽学校には外国人の教授がいました。(クロイツァ、シロタ等)

 シロタは1929年ピアノの教授として日本に来ました。ベアテはシロタの娘で父母と一緒に日本に来ました。彼女は母親にピアノの手ほどきを受けました。けれども母親は彼女がピアノよりも語学に才能があると思いました。彼女は数ヶ国語をマスターしました。彼女は10年間日本にいてそれからアメリカに留学しました。カレッジを卒業して彼女は働きました。両親は彼女に戦争中なので送金することが出来ませんでした。

 1945年、彼女は両親が軽井沢で不自由に生活していることを知りました。彼女は両親に遇いたいと思って日本に仕事を探しました。彼女はG.H.Qが占領計画のため人材を探しているのをきき、之に応募したら採用されました。彼女はタイムの仕事をやめて日本に帰って来て、憲法の草案に参加しました。彼女は日本で生活していたので日本の女性が性的差別をうけているのを見ていました。彼女は男女平等であるべきだと憲法に書きました。この憲法は日本へベアテの贈り物です。

 シロタは17年間日本にいて日本の音楽界に貢献しました。そして彼らはアメリカに移住しました。彼の一族の何人かはアウシュビッツへ送られ、彼の弟は戦死しました。

 之はシロタ家の記録映画です。シロタの愛弟子、藤田晴子は2001年に83才でなくなりました。彼女は遺産を文化的な仕事に役立てて欲しいと希望していました。このフィルムは彼女の遺産のおかげです。



<M.K.さんからひとこと>

映画を見て作文したいと思い、随分辞書をひきました。でも知っていると思ってひかなかったらスペルがぬけていたり、辞書の例文をどうつなげるのか思案したところなど直して頂いてすっきり。有難うございました。



<キャプテン@kiから>

日本の近代化に貢献した外国人が軽井沢に住んでいたと聞いたことがありますが、シロタ家のベアテさんもその一人だったのですね。勉強になりました。☆





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プロフィール

アンディ

Author:アンディ
こんにちは!大久保で「英語でリーディング専門 クローバー」というマンツーマン英語教室を開いているAndy Tachibanaです。一緒にストーリーを楽しみながら読んで、英語&英会話をマスターしちゃいましょう!!☆
Twitterは clover_reading です。

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